虐待のニュースを見て

 

今朝、親が虐待をして3歳の子供が死亡というニュースがありました。

親は今時の感じの若い二人。年は27歳とか言っていたかなと思います。

で、熱湯かけたり冷水かけっぱなしにしたり、鎖をまいたり、パンチをしたりと、まぁ残酷な事をよくできるものです。

 

きっと、こんなことをしてしまう親にもいろいろと本人なりの事情があるのでしょう、、、。

しかし、それって"子供からすれば関係のない話し”なんだよね。

 

親はもう少し自覚するべきなんだ。

 

子どもという一つの人格があって、自分の子供であるけれど、自分とは違う一人の人間なんだということを。

 

子供は、決して親の所有物ではない。

それに、親には子どもに対する扶養義務がある。

だけど、扶養義務があろうとなかろうと、自分の子供は自然とかわいいと思うだろうし、自然と大切に思うんじゃなかろうか、、、。

でも、親のいろんなストレスが重なってイライラしてつい、、、という事を、よく耳にするけれど、あれってただの"聞き苦しい言い訳”でしかない。

 

自分の弱さを言い訳して正当化するところが、卑怯なんだ。

誰が聞いても、虐待している親の言い分が正しいと思う人はいない。

親の言い訳なんて誰も聞いていないんだよ。

"一の人間としての子供”になぜあれだけひどい事ができたのかその精神構造がわからん。

3歳の子供って弱いでしょ。だから、平気で当たってしまうんだろうけど、これがプロレスラーみたいな人だったら、その親は手を上げてしまうのだろうか?

ゼッタイに誰だって手を上げないよね。

それって、逆に自分の命の危険だってあるわけだから。

 

つまり、子どもの虐待をする人全般に言えることは弱い者をいじめ、強いものに媚を売る卑怯者であり、心の弱虫であるんだと私は思います。

人の強さって、腕力ではないと思うんだ。

人の世界って言うのは社会性が問われるでしょ。

社交的だったり、強いぶれない優しさだったり、温かい言葉をそっとかけられることだったり、多少の困難があっても耐えられる心を持っていたり、自分の信念を貫き通す前向きで建設的な思考を持っていたり、という事だと思うんだよね。

(もちろんそれ以外にもいろいろあるけれど。)

 

虐待って字はとても嫌悪感が湧くんだけど、同じ暴力でも"愛のむち”とは180度どころか540度も違うんだ。

勿論、教育の観点から、頭をコツンと叩くことだって、怒鳴ることだってあるでしょう。でもそれは暴力とは違う。愛情の為の、あえての暴力だったりする。

人間には、喜怒哀楽があるのだから、子供にとっての一番の教育者である親が、その喜怒哀楽を使って子供が社会に出てもいろんなことに負けない強い心を育めるような教育を、毎日の生活の中で自然としていかないといけないんだよ。

 

子供を作ったなら、もしくはできる可能性があるのなら、親になるという覚悟と責任を持ってもらいたいものです。