
私の心の中では、こんなだったり、、、、

こんなだったりします(笑)。
辛い時も、楽しい。
誰かが言っていました。
生きていくこと自体がつらい事なんだよ。
お母さんのおなかの中にいれば、栄養を自動的に送ってくれるし、自分は何もしなくてもいいでしょ。
おなかの中にいる時が一番楽なんだよ。
・・・・・・
なんだか最ものような気もしますが、私の中では、「この人、人生を完全に逃避しているな、、、。」と思えなくもありません(笑)。
私は、自分がつらい時は楽しいと考えます。
(理由)
その辛いことを乗り越えてそれをマスターできれば、それは自分の知識となり対応力となり、より人に役立てられる自分に成長することがきっとできるからだと考えます。
始めようとする今がつらくても、後で必ず楽しい時が来る。
そう思えるから、辛いことも頑張れるってわけです。
まずい状況の時も、楽しく。
これはかなり前の事です。
決済引渡しの日に、売主様が不動産の権利証(登記識別情報通知)を自宅に忘れてしまいました。
こうなると、所有権移転申請手続きができません。
これはまずいのです。
でも、まずくたっていいのです。
その後のフォローさえしっかりできれば、その日に所有権移転手続きができるのですから。
その日は、売主様のご自宅までドライブをかねて権利証(登記識別情報通知)を取りに行きました。
それで万事問題なしです。
ところが、道路が混みあってしまって、片道約2時間とかなりの時間がかかってしまい、別の意味で焦りも、、、(笑)。
そういったことは、たしかにまずいのですが、それも楽しもうと思えば、別に腹が立つことでもないし、笑い話にしかなりません。
そう。
単純に自分がまずい状況に対してどう思うか?
どう思えるか?
感受性がどうなのかという、ただそれだけのことですよね。
まずい状況は楽しくできるのです。
楽しい時は、楽しい。
楽しい時は、誰だって楽しいのです。
楽しいというのは人によって違います。
私は、私のアドバイスによって皆様が不安がなくなり楽しい気持ちになってくれると喜びを感じます。
Aさんは、誰かの愚痴を友達と言い合っている時に喜びを感じます。
Bさんは、部下にパワハラができる瞬間、喜びを感じるようです。
どうでしょう。
人によって楽しい場面は変わるのです。
楽しいと言っても、楽しさには種類があり、人それぞれに感じ方が違うのです。
なぜなら、生活してきた環境、接してきた人、教育など様々な違いがあるからです。
最終的に楽しくするんだという気持ち
私が高校を卒業し、すぐに就職した会社では同期組が20人くらいいたかと思います。
その仲間の多くは、とても楽しそうに見えました。
お昼の休憩時間もいろんなお話しを仲間同士でしていて、だれもが笑顔でした。
(一部愚痴集団がいましたけども、、、。)
私も楽しいのは間違いないのですが、目標を持って仕事をしていたこともあり、
休憩の時、みんなと話をするよりも仕事がしたかったのです。
だから、休憩時間は人より少なく、すぐに売り場に戻って仕事をしていました(笑)。
ある意味、周囲の仲間とはズレがあったと思います(笑)。
だから、当時ちょっと浮いていた感はあったかもしれないと、今では思っています(笑)。
いずれにしても、最終的に自分の目標のために頑張ってきました(つもりです)。
最終的に自分が設定したゴールに到達することが楽しさを倍増させるのだと思います。
そしてゴールに到達したら次の目標を持ち、それに向かって努力していく。
そしてクリアする。
それを繰り返しているうちに、どんどん自分が成長できる。
これって、本当に楽しいと思います。
まとめ(バカになろう!)
だからといって、まじめ一辺倒ではダメなんだと思います。
最近では、バカもやります。
何がバカなのかわかりませんが、羽目を外すことはあります。
それは人生においての潤滑油であって、必要な事なんだとつくづく感じるようになりました。
それに、あんまりにも頭が良すぎる人って、なんとなく近寄りがたいですよね(笑)。
私のちょっとした苦手意識として、
上から目線で高圧的で頭が良くて、頭の回転が速すぎる人は苦手です。
だって、自分が良くもないし速くもないでしょ?
だから、話しをしていてもそのスピード感に対応できない、、、(笑)。
劣等感を感じるのかもしれません(笑)。
「わから~ん!」
わからないことは、恥ずかしがらずにわからないと言っています。
そして素直に教えていただくようにしています。
そうやってバカ正直に生きています(笑)。
カッコつけるのは苦手です。
カッコつけたって、本当の自分は見透かされてしまうと思うのです。
だから、本音を演じる自分そのものが一番素晴らしいのです。
それでいいと思っています。
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