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生きるのが疲れた、、、?【府中市の不動産屋さん】

不動産業界歴 約20年 松田の本音ブログ

人生、疲れています
目次

なぬー。生きるのが疲れたって、、、?

私は今19歳です、もう既に生きるのに疲れました。
自分でも社会で生きていくには弱いのかな?と思ってました。
両親に今までの”迷惑料”を払い終わったら私の役目を終えてもいいでしょうか?

ある記事を見ていたら、こんな質問がありました。
で、その問いに対して真剣に答える人がなんと32人。
すごいなぁ、ヤッパリ生き死にの質問というのは、誰しもがアドバイスしたくなるんだなぁと思いました。

私は、自分自身が否応なくめっちゃ苦労してきた時代があって、ほんとに死んだほうが楽だなと思えたことが何回かありました(笑)
冗談のようなほんとの話しです(笑)
だから、人生のつらさは自分なりに知っているし、人生の楽しさも知っています。
うれしい気持ちと死にたい気持ちを天秤にかけたときに、どっちを大きくした方が良いか、、、私の答えは明白でした。

人生は挑戦の連続

人生は常に挑戦です。
冷静に考えれば誰もが知っていることです。
生きていくためには、通常、お金が必要ですが、自分が子供の時は衣食住は親が面倒見てくれました。
それは親の責任として法律でも定めていますし、法律が定めている以上、それを放棄すれば虐待になり、ひどいケースでは逮捕されます。

子供時代は親が面倒を見てくれるわけですが、成人すると今までの当たり前のことが一変し、様変わりします。
その時に、(人によっては初めて)知るのです。
お金は、ただでは誰もくれないということを、、、。
誰もくれないでしょ?おかね。

だから、一生懸命に働くしかないのです。

大切なことは人に役立つことを喜びとして感じることができる自分の心を作ることです。
でも、、、、成人してから、自分の考えや行動を急に変えることはできません。
長年積み重ねた自分の考え方、生き方があるからです。
ということは、、、。

「三つ子の魂百までも」というように、親の立場で申し上げれば、わが子が小さいときの教育はとっても大事!ということになりますし、わが子が成人するまでの間に一定の教育を受けさせ、最低限身に着けるべき教養は絶対に身につけさせなくてはいけません。ある意味、わが子は、親そのものなのです。

だから、親は責任をもって、子に対して愛情を注ぐべきだし、その反面厳しくしつけることが必要だと私は考えています。
そして、成人した子供たちは最低限の教養を身に着けて社会に巣立っていくわけですが、また初めての経験をします。

それが縦社会です。

今まで経験したことのない理不尽なことがたくさんあります。
当たり前です。
学校とは違い各々に利害関係が絡むからです。

このように考えると、人生は常に初挑戦の連続で、挑戦の繰り返しなのです。
だから、
・挑戦するのが嫌だ!
・挑戦がめんどくさい!
・お父さん、お母さん、助けてよ!なんて言ってられないのです。

もし勇気があれば、お隣さんの家に行ってぜひ聞いてみてください。
「私、働くの嫌なんでお金ください。」

そしたら、隣の人に、
「頭、いかれてる???バカなんですか?」と言われるだけです。

お隣さんも、自分の人生に対峙し常に挑戦しているのです。
一生懸命稼いだお金を、お隣さんにただであげるなんてことはあり得ないのです。

誰もがつらい気持ちは持っている

気持ちが落ち込む集団

ほとんどのパパならわかります。
・会社で理不尽なことを言われた。
・付き合いで飲み会に行かなきゃいけない。(無駄な出費)
・上司のむちゃぶりな意見も、イエスと答えなくてはならない。
・自分の出世のために、人を蹴落とす覚悟が必要な時がある。
わかるでしょ?

ほとんどのママならわかります。
・保育園(幼稚園)のママ友と仲良くするのが大変。
・付き合いの中で、言いたくもない人の悪口を言わなくてはいけない。
・仕事があるのにPTAをやらなきゃいけない。
・子供の送り迎え、家事
・洗濯がとても大変。
・毎日の食事を作るのも大変。
・子供が言うことを聞かない。しつけもしなきゃいけない。
わかるよね。

こうやって家庭ごとに苦労があります。
こうやって、日々いろんなストレスもあったりして苦労しています。

そして、こんなご家庭もあります。
連日ニュースに流れている、子供虐待家族です。
これは、私からすると想像したくない光景です。
しかし、地球上にこれだけたくさんの人がいれば、絶対になくならないのが虐待です。
だから、そのような家庭(親元)に生まれ育った人はつらいことでしょう。

そういった環境から抜け出せたなら、自分がどうするのか決定するのは自分自身であり、親ではないのです。

自分がどうしたいのか、決定権はすべて自分にあります。
周囲の状況がどうとか関係ありません。(多少の空気は読む必要があるでしょう。)
それを言い訳にして逃げようとしても、逃げることなどできません。

逃げる人の結果は良い方向に変わることはないのです。
だったら、人のせいにせず、自分を変え、自分の未来を良い方向に切り開くという強い信念をもって行動すればよいし、それしかないのだと私は思います。

強い信念を持っていたとしても、つらいことは山のようにあります。

つらいこともあるし、楽しいこともある。

だったら、とことん楽しむことをクローズアップして、とことん楽しい人生を送るんだ!という強い信念をもって、どうしたら楽しい人生になるのかを考えて行動したほうが良いと思います。

私は、楽しい人生が良いので、自分が楽しい人生を送りたいなら、自分ができる範囲で、人の人生を楽しくする(人に役立つ)のが先だと考えて行動するべきだと思います。
愚痴は無駄なのでほとんど言いません。
言ったところで自分の気分が悪くなるだけでしかないからです。

自分がどうしたいのか、が大切なのです。

喜びおどる女性

人間誰しも、生まれたいから生まれたわけではありません。
自然の原理原則で、子孫繁栄のために生まれてきました。

で、たまに聞きますよね。
「誰が生んでくれって頼んだんだよ!」
親から言わせれば「誰がおまえに生まれて来いって言ったんだよ!」と言いたくもなります。

お互い、言いたい放題です(笑)

生まれてきた以上、その事実に文句を言ってどうするの?
不満があれば死ねるの?
もし死ねるんだったら、人の迷惑にならないように身辺整理をすべて完璧にしてから、死後であっても絶対に誰かの迷惑にならないところで死んでください。となるでしょ?

19歳の人、それでいいのかな?

私自身は、せっかく生まれてきたんだから、楽しい人生にしたいし、笑って死ねる人生でありたいと思います。
人の役に立つことで、その人の笑顔が見れて、その影響を受けて自分と家族が幸せになりたいと考えています。
シンプルなことだけど、それでいいと思うんです。

自分ができる範囲で、人に喜んでもらえれば、それで十分。
そうやって、たくさんの人が、相手に優しさをもって接することができるだけでも、世の中けっこう変わるんじゃないかなと思ったりします。(もちろん、変わらないことはたくさんあります。)

悩みます

ほんとに死にたいなら、誰にも迷惑をかけないように何も言わず黙って死ねばいい。
迷惑をかけないように死んでくれれば誰も気が付かないし、誰も泣くこともありません。
だけど、、、。
死んでもいいと思っているなら、もう一度、死んだつもりで自分の心をリセットして、負ける気持ちを奮い立たせて、気合を入れて頑張ってみたらどう?と思ったりします。
頑張れば、達成感があってほんと楽しいのだから。

19歳の人は、達成感を『楽しいと感じることができなかった(かもしれない)こと』が最大の不幸だと、私は勝手に感じとりました。
一生懸命やって、人生良い方向に反転したら、今まで悩んでいたことがほんと馬鹿らしく思えるから、今一度頑張っても損はありません。と他人が言ったところで、ヤッパリ自分次第でしかないと私は思います。

そんな独りごと、、、、、。

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