『本気で生きること』が最高の人生【府中市の不動産屋さん】
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79才の高校生
たまたま、X(旧Twitter)で、79才で高校生になったおじいちゃんの話しがありました。
なんでも高校生の彼女ができたそうで、通学している時は自分が年よりなんて全く感じたことがない、と言っていました。「私はみなさんのおかげで青春を2回味わいました。年をとってもがんばれば喜びを味わえる。」だって。
すばらしいなぁ~と、胸が熱くなりました。
こういう生き様って、本当に素敵だと思います。
何歳になっても、自分をあきらめるんじゃなくて、思い切り本気で取り組めることを探して、行動すると決めた本人こそが輝いているし、目の輝き、表情もふわふわしているのが伝わってきます。
お会いしたことはないけれど、一生懸命に本気で生きることの大切さを人生の先輩に教えてもらった気がしました。
お家の売却、なんでそんなに安く売っちゃったのかな
不動産売却査定の依頼を受けると、地域によっては本当に困るものもあります。
以前、依頼を受けた岩手県の土地なんかはまさにそうで、いわゆる不動産鑑定士案件と思えます。
しかし、私もプロなので、さまざまな周辺事例を様々なところから引っ張ってきて価格査定の根拠として納得できるものを探します。
で、1~2日も費やして、価格の規則性などが全くない地域であるという結論になりました。
こんな場所がある反面、東京都内の不動産売却査定は得意です。
私は、さまざまな事例を基に、根拠ある資料を作成します。
つい先日、査定をした物件(Bさんのお家)がありましたが、他社さんで、私の査定額よりも700万円くらい安く売ってしまいました。
Bさんが他社さんに専任で売却活動を任せたと言っていたし、Bさんの判断なので別に良いのですが、なんでそんな安い金額で納得してしまったのかが不思議に思います。
売出してから1ヶ月程度での成約ですから、普通に考えると安売りをしてしまったと考えます。
ここで私の反省もあります。
なぜ、Bさんに自分の査定額を信頼して売却を任せて頂くことができなかったのか。
伝え方が悪かったのか。
サービスが悪かったのか。
私自身が信頼に値しなかったのか。
いろんなことを考えますが、しょせんは、売却査定をした中の1社なので、Bさんもご自身に有利だと思ったところに売却依頼をするのは当然のことです。
「すごく信頼しているよ、絶対に売却は任せます。」なんて事前にずっと言われていただけに、こんな安値で決断した理由を知りたいなぁと思ったりします、、、。
『育ち』で人は決まるんですよ
今日来店された方(Aさん)は、現在、収益物件(2棟)の売却依頼をしてくれている方です。
入札価格は、2億円~と4.5億円~です。
このAさんは、ご自身の人生を本2冊に書き記し販売をしているのですが、その内容は、戦後を生き抜いた努力家の弱いAさんが、信頼と不思議なご縁から人生を大逆転する物語が記されています。
想像を絶する苦労があったけれど、どんなことにも感謝し前向きに生きてきたことが文面から読み取れます。
そういった経験を持った人の話しをリアルに聞ける私、そして信頼をいただいて不動産売却をお任せいただける私は、本当に恵まれていると心から思うわけです。
さてさて、話は戻りますが、
この物件については、すでに購入申し込みが入っていて、期日を待って開札をする事になっています。
Aさんには、詳細についてはまだ開示ができない状態ですが、開札の日には間違いなく不動産売買契約に至ることが確定しているため、ひとまずは喜びとなります。
しかし、いくらで金額が入っているかは確認ができない状況なので、開札の日を楽しみにしておこうと思っています。
で、いろんなお話をする中で、子供の育て方についてアドバイスを頂きました( ´艸`)
『うちの息子が絶好調に反抗期突入で、ホント大変なんですよ。どうしたらいいものですかね~(笑)』
すると、Aさんは『親が何をしようと子供は自分が生きたいように生きるんですから、気にしなくていいんですよ。』と言われました。
つまり、本人次第なのだから、親があれをやれ、これをやれと言っても仕方ないし、子供が良い人間になったとしても悪い人間になったとしても、それは親の責任ではなく、子供自身の責任(生き様)だから、親の育て方が悪かったなんて思う必要は一切ないんですよ。
双子で同じご飯を食べ、同じ学校に行ったって性格が全く違うでしょ?それと同じことなんですよ。
親がどうこうして変わるものじゃないんです。
要するに『育ち』なんですよ。
育ちは、本人が決めるんです。
人生の大先輩が、そういっているんだし、私自身、とても共感できるものでした。
私もそう思っていたので、経験に基づいた力強い意志で背中を押され、ありがたく思いました。
自分の本気で生きる
私は、最近、ちょっとだらけているような気がします。
本気の本気で、超限界まで何かに取り組んでいないように感じます。
きっと、新たな学びが足りないんだと思います。
幼少の頃は、好き放題遊んで、好き放題走り回り、好き放題大きな声をあげて、仲間との時間を共有していました。
今まさに、そういった感覚がまるでないんですよね~。
私は来年、府中市内で引越しをする予定なので、そのタイミングで『より個性的に自分の想いをもっと全開にできる人』に脱皮しようと思います。
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