3・11から3年【府中市の不動産屋さん】
3・11から3年が経過しましたが、あの時の光景は記憶にしっかりと焼きついています。
私の親戚には仙台に住んでいる人もいて、あの津波で親戚の一人が犠牲になりました。
1年間ずっと、家族は待ち続けましたが、遺留品も行方を示すものは何もなく、このままではいけないと決心し、葬儀を行うことになりました。ちょうど1年後です。
その時の葬儀はとても悲しいものになりました。
参列された方々が涙を流している姿がとても多く、地域の方からとても愛されていたんだなぁと感じました。
あの日から3年が経過しましたが、今でも親戚が撮影した津波の映像は忘れることができません。
自分が知っている場所なので、その光景はリアルに感じられました。
映像では津波の高さは10mというレベルではなかったです。もっと、すごい高さまで来てました。
だから、身をもって経験をされた方々は相当怖かったと思います。
今朝、テレビで仮設住宅のことを取り上げていました。
仮設住宅から出たくても出れない人たちをどうするのか。
国や国民がしっかりと考えないといけないです。
例え国民の税金が若干の割高になったとしても、これは国を挙げて継続して変えていかないといけません。
この復興は大変だと思います。
きっと10年以上はかかるんだと思います。
人には、人によってできること、してあげられることが違います。
ムリな事ではなく、自分にできることをしていけたらいいなと思います。
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