マスク収束の予感でしょうか、、、。【府中市の不動産屋さん】
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コロナとマスクのことで、不謹慎かもな松田
まる3年かかって、ようやくこんな議論をしているんだなぁと、不思議に思います。
特に最近、マスクを外したくない人の意見をテレビが取り上げるようになりましたが、数か月前とかなり温度感が違います。
どちらかというと、数か月前まではメディアがマスクを外すことは「悪」であるくらいの感じでしたが、最近は脱マスクが人間としてフツーみたいな温度感にだんだんとなっていて、こんだけ正反対の意見をメディアが平気で言うということは、要するに原稿があってそれをただ読んでいるだけであると言っているようなものです。
コメンテーターは仕事だから原稿をしゃべっているだけと思えたりします(笑)
ようするに、作家の表現をするための道具になっているだけの感じに見えるわけです。
まつだ
このように、違った角度から想像する人間観察は、とてもおもしろいです。
一部の人からすればとっても怖いコロナですし、
一部の人からすれば全然怖くないコロナですし、
一部の人からすればマスクは他人のためであり、
一部の人からすればマスクは自分のためであり、
一部の人からすればマスクをすることが協調性の証であったりと、
本当のところ、何のためにマスクをつけているのか、本来のマスクの効能について考えることを拒否しているようにも見えます。
例えば、その辺に転がっている石ころが1億円の価値があると日本人の9割が(本気だろうとそうでなかろうと)考えれば、多数の意見の通りに、石ころは1億円の価値になるのと同じことで、
怖い怖い怖いと連日メディアで言い続け、駅で店で会社で「マスク着用推奨」を表記し連呼し、学校でもマスクを強制すれば、9割の人の意思なんて簡単に作れるものです。
なぜなら、実際にそれが証明できた3年間だったなぁと私は思うからです。
言葉を変えると「洗脳」といえなくもありません。
ま、それを支持したのが多くの日本人なのですし、多数決に逆らう人はバカを見る世の中でもありますし、右向け右で長いものに巻かれちゃう方が楽なのですし、わざわざ自分からケンカを売る必要はないということなんでしょうね。
マスク生活丸3年、よくもまぁ頑張ったものだ。
外ではマスクは原則不要なんてことは去年から言われていたのだけど、ほぼ99%の人たちはマスクをつけっぱなし。
さすがに3年間もマスクをつけていると、二酸化炭素とか、苦しいと思わなくなるのですね。
ホント、慣れって怖いです。
私は未だにマスクをつけると苦しいので、できるだけつけないようにしてきました(笑)
それができる環境だったわけだし(笑)
先日テレビで放送されていたインタビューでは、皆さんの本音が出ていましたが、
メディアがそういった切り抜き偏向報道をその時の状況で都合よくしているようにも感じるわけです。
協調性が行き過ぎると、個々人が考えることができなくなるんですね。
会社では、会社の方針でマスク着用を強要しますから、ホント法律無視の行為なのですが、これに対し誰も声を上げないし、声を上げたら最後、協調性のない人間という烙印を押されてしまいます。
まったくもって、恐ろしい世の中です。
間違いを正すこともできず、その場の雰囲気で判断し、他人に強要する人こそ、ホントは一番怖いのだと思います。
そのおかげで、子供たちはかなりのハンディをもらいました。
うちの息子なんか中学校生活はずっとマスク着用時代となりました。
ほんと、最悪です。
大人になったとき、相手の感情がわからないみたいな弊害が出ないことを願うばかりです、、、。
自分で物事を考える事は大切です
私は自分で物事を考えて行動したいタイプなので、人から言われたからするという発想はあんまりありません。
しかし、世の中の人が、これだけコロナ(人の目?)におびえているのに、自分だけ違った行動をするのもおかしいかもしれないので、外で一人で歩く時はよっぽどでないとマスクはつけませんが、屋内に入ったときは相手が怖がったり嫌がったりする行動をする事が申し訳ないような気もする、、、という観点だけでマスクをつけることにしています。
正直、私自身はコロナなど怖くもなんともないのです。
上下左右隙間だらけのマスクをつけたところで、ウイルスを防ぐことができるなんてありえないことですし、それをあり得ると思っている人は、本当はそう多くはないんだと思います。
ようするに、集団心理もあるのでしょうから、マスクをつけていることが「協調性の証であり、出る杭にならず、非難されることがない。」ということなんだと思います。
私の家族はPCR検査で全員陽性になり、1週間ほどは熱やのどの痛みが激しかったのですが、抵抗力がつくわけだから、感染を大いに喜んだ側でして、自然免疫の観点で言えばその考え方は間違っていないと思うんですよね(笑)
でも、コロナ感染が原因でお亡くなりになる人もいるわけですから、人それぞれ十人十色の対策方法で対策すれば良いのだと思います。一応治験中ですけど、安全だと思われている(か知りませんが)ワクチンもたくさん出回っているわけですから。
こんなこと書くと松田はひどい人だという人もいるでしょうけど、リスクは全体のバランスが大切なんですよね。
それが理解できないのでしたら、コロナが怖いという人は他のリスクも許さないことにしてください。
たとえば、
自転車に乗るのやめましょう。ご年配の方にぶつかってお亡くなりになった事件ありますよね。
カッター使うのやめましょう。危ないですよね。
車に乗るのやめましょう。動く凶器ですよね。
電車に乗るのやめましょう。人身事故が毎日のようにあるんだから。
こうやって、良いことだって、悪いことだって、見方次第で全て悪い事にできるわけです。
行為は変わらずとも見方次第で良し悪しが変わるんだったら、ウイルスごときにグダグダ言ってないで、全体のバランスを考慮して一定のリスクは受けとめるしかないのです。ほんとはね。
でも、コロナが怖い人からすれば受け入れることはできないわけで、その基準を怖がっている人(弱者)に国をあげて合わせることで、世の中が3年もおかしいことになっているわけです。
私の知っている人で、自死した人がいるし、経営がうまくいかず閉店しノイローゼになった人もいます。
こういうことは自己責任で片づけられて、コロナ死は自己責任にならないって何か矛盾していると思いませんか?
あなたの勤務先が倒産して路頭に迷ったらどうします?
家族をどうやって養っていくのでしょうか。
これは他人事の話しではないのです。
事実、たくさんのお店が廃業し路頭に迷って明日に夢を持てない人がたくさんできてしまったはずです。
コロナリスクばかりに注目して、他のリスクを放置し、見て見ぬふりをしてきた代償はあまりに大きいと思います。
これは自己責任ではなく、あえて廃業に追い込まれたんだろうと思ってしまいます。
正解がないからこそ、他人から非難されようと正しいと思う道を進めばいいと思う松田のある意味の不謹慎さ、、、w
世の中にはたくさんの人がいますが、同じ物事であっても立場が違えば正解が異なります。
サービス券を配れば、お客様は得をするけど、経営側は損をします。
こんな身近なところにも真反対の結果がふつーにあるわけですが、いちいちそんなことを考える人はいません。
その反面で、
損して得を取れとも言われ、なるほど合理的でもあります。
ことわざ的に言えば、物の考え方や受け止め方によってどっちにでも解釈できるというわけです。
メディアが毎日報道すれば、これほどすごい洗脳マシーンはありません。
テレビは嘘は言わないのではなく、全体の中の都合よい部分を切り抜いて、都合よい部分だけ発信するという偏向報道はできるわけです。それでも噓をついていないとも言えるわけです。
なぜなら、思い込んだのはあなたの責任だと言えるからです。
ようするに屁理屈になるわけですが、本当のことを報道していたとしても、話しの前後のやり取りまで真剣に聞けば、ホントは意味がまるで違う報道になる事を、一般の人たちが知っておかないといけないのです。
私の我が子もホントに可哀想ですよ。
だれも責任取ってくれないですよね?
中学3年間ずっとマスク生活でしたからね。ほんとアホらしい、、、。
つまり、結局は気がついた人が自分に自信を持って行動することが大切であり、人の目をあまりに気にする日本人だからこそ、マスクを今もなおつけているわけです。
私は本当におかしいと思っています。
マスクをつけたい人は自由につければいいし、つけたくない人はつけないで良いはずの法律になっているはずなのに、どちらかというと、人の目ばかりを気にするのは、ほんとは協調性とは言わず弱虫だと思います。
だからと言って相手を非難したり罵っていいものではありません。
こういった意見に反論する人、賛成する人さまざまいるわけですが、そういったことを本当の意味で建設的に話し合いをしていくことが民主主義なんじゃないかなと思いますが、この3年間、皆さんにとってはどうでしたでしょうか。
自分や他人の「権利や個性」を大切にできた3年間だったでしょうか?
そろそろ、自分なりに総括するときが来ていると思います。
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